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解釈とたまに考察と感想

【考察・解釈】ダンガンロンパと「超高校級の絶望」の歴史

ダンガンロンパおよびそのナンバリング作品に関わる重大なネタバレが含まれています。どれか1つでも未プレイの方はゲームショップに走って行って下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本記事は、江ノ島盾子とダンガンロンパの歴史を振り返り考察するものです。

考察範囲は、江ノ島盾子が登場している無印(1).2.ゼロ.絶望編.(一応)V3までとします。絶女は少し悩みましたが微妙なラインのうえあまり書くことがないので省きます

 

 

 

①絶望編とゼロ

時列系としては、絶望編と同時軸にゼロがあった考えています。

入学前の彼女の様子からして、1年目は絶望させる対象や材料を用意し、どのようにして世界を絶望に叩き込むかを考える時間として費やす予定となっていることが予想されます。また、ここでは彼女が未知の絶望の種に期待、つまり希望していることも分かります。「絶望を希望する」という現象については後述します。

そして入学後、彼女はカムクラ、御手洗、罪木の3人と「運命の出会い」を果たします。実際に江ノ島盾子が「運命の出会い」と言ったのは御手洗だけですが、この3人のうち1人でもかけたら、今後の展開は約束されません。希望ヶ峰学園、およびダンガンロンパにおける「江ノ島盾子史」は、ここから始まったのです。

そして、その3人との出会いにより、彼女は「予備学科」「77期生」という二つの駒を手にします。おそらくこの時点で、78期生によるコロシアイとその放送は決定していたでしょう。人類を絶望させる計画に、「黒幕の同級生」を使わないのはもったいないという考えからです。

 

・なぜ手駒として77期生を選んだのか?

もちろんたまたま罪木と会ったからというのもありますが、それだけではありません。彼女は、いかにも皆で仲良くしていそうな彼らの写真を見ています。それと同時に、七海が皆のリーダー的存在であるという事も知ります。その瞬間、七海を殺せば皆絶望するに違いないと、江ノ島盾子でなくても分かるはずです。

 

また、彼女は布石と保険として、急遽「雪染ちさ」という駒も手に入れます。元々雪染が手駒になる予定ではなかったのは、絶望させる過程の無理やりっぷりから分かります。江ノ島盾子は、ここで初めて希望ヶ峰学園OBによる抵抗、つまり人類史上最大最悪の絶望的事件の後のことを予測内に考慮しています。実際にこの後も逆蔵を潰しに行っています。宗方の周りを潰すことで、彼を後の「絶望の種」として育てたと言ってもいいでしょう。(ポケモンのみらいよちっていう技みたいな攻撃方法なんですが伝わりますか…?)

そして予備学科という手駒を「希望ヶ峰学園史上最大最悪の絶望的事件」という動力で動かし、希望ヶ峰学園を内部から破壊します。ここで予備学科という駒もロストします。また、77期生という手駒を「七海千秋の処刑」という動力で、人類史上最大最悪の絶望的事件へと進めます。ここで「雪染ちさ」を温存するのは、今後希望ヶ峰学園OBが出しゃばってくる事を予測した上での戦略です。

 

また、絶望編~ゼロまでの間に忘れてはならないのは、戦刃むくろと松田夜助の存在です。彼らの事は、本記事ではまとめて「理解者」と呼びます。もちろん、言葉通りの意味ではありません。江ノ島盾子のことを理解できる人は、「超分析力」を持つ人物しかいないからです。

絶望を好むだけでは、江ノ島盾子を理解することはおそらくできません。(塔和モナカなどがそうだと考えています)彼らはあくまでも、江ノ島盾子を理解しようとした人物です。

本来、幼なじみや双子の姉である二人は、いつ殺されてもおかしくない状況です。よって本編中では、その役目を終え、かつ彼女が絶望的だと思った瞬間、2人は殺されています。

松田の死に関しては時列系が難しく(私が理解できてない)、はっきりとは言えないのですが、タイミング的には七海が処刑される前のあたりだと思われます。江ノ島盾子の完全復活=七海の処刑や予備学科の絶望ビデオによる殺戮等ができるようになる、ということだと考察しているからです。

 

江ノ島と松田、77期生と七海の関係性は、恋慕だったり信頼だったりで種類は違いますが、親しい人である事には変わりないでしょう。そこで、江ノ島盾子が77期生達に対して「親しい人を亡くすなんて、絶望的っ!」なんて考えていたとしたらどうでしょう。

簡単に言えば、「あっ〇〇ちゃんのあれ(絶望)いいな!欲しい(味わいたい)!」という感覚です。この事は、クラスメイト同士が殺し合う空間に姉や自分が死ぬ絶望を想うことと同じだと言えます。彼女は、未知の絶望に希望して、数少ない理解者を殺してしまったのです。

 

言うまでもない事ではあると思いますが、この一連の流れがあったせいで、江ノ島盾子は77期生をかなり軽視し、「メンタルが弱い」「依存性が強い」等、弱い印象を抱いています。このことを踏まえてスーダンをやると、また違うものが見えてくるのではないでしょうか。

 

 

ダンガンロンパ無印

そして、ついに江ノ島盾子は人類史上最大最悪の絶望的事件の口火を切り、自身は78期生として旧校舎へ残ります。シェルター内に黒幕がいるので、この時点では事件を収束させることはできません。

江ノ島盾子にとっては、78期生のコロシアイの運営ができ、捕まらないという意味で一石二鳥です。この事件を収束させるには、彼女の殺害もしくは更正が必要となり、それができるのは残された78期生しかいません。

コロシアイの内容に関して言えば、黒幕は「少し有利」程度だったでしょう。一応クラスメイトだったので弱味は把握できていますし、結束力もたいして強くありません。「少し」というのは、スーダン時に比べてと、苗木誠という不安要素があるからです。

この「少し」を埋めるために、本来必要無い(動機によって舞園さやかが口火を切っていたであろうから)「裏切り者」の用意や、苗木誠の襲撃等を行っていました。よって、江ノ島盾子を78期生が倒せる確率は格段に下がっていました。この僅かな可能性を掴み取ったのが、「超高校級の希望」苗木誠なのです。

自分の肉体を持つ彼女は、ゲーム内ではこの時の活躍が最初で最後です。よって、「絶望」面においてこの時の彼女は最凶の存在です。そんな人物を打ち破ることができた人物は、やはり最強の「希望」を持つ苗木しかいませんでした。この2人もある意味「運命の出会い」なのです。

また、彼女はここで自分の肉体を失います。これはとても大きな損失となるので、これ以降彼女は自分の肉体を手に入れるための行動に出ていきます。また、超高校級の希望との出会いにより、人格や倫理観に多少の変化が見られています。

彼女は自分で自分のことを「負けた」と言っていますが、これは即ち「絶望が希望に負けた」という意味になります。このことで彼女は更正するわけでもなく、絶望とルールに乗っ取って自分を処刑しています。おそらく江ノ島盾子(絶望)の肉体を殺すには、この「オシオキ(絶望)による処刑」しか方法が無かったでしょう。

 

無印で重要となるのが、ここが「ダンガンロンパ」のはじまりである、という事です。当たり前の事のように思いますが、私が言いたいのは「江ノ島盾子と苗木誠の希望や絶望は、ここから拡がり始めた」という事です。

苗木誠の希望が拡がり始めたのは言うまでもないと思います。江ノ島盾子は確かに亡くなりました。しかしそれにより、外の絶望愛好者達に大きな絶望を与えたと言っていいでしょう。その絶望もまた、ここから拡がり始めたのです。

希望は絶望に打ち勝つことで拡がり、絶望は「絶望の象徴」である江ノ島盾子が死ぬことによって拡がります。拡がりが収まるのは、それぞれが完全な死を迎えた時です。ここは後で詳述します。

この希望や絶望は、V3の世界までずっと拡がり続けています。

 

・突然の江ノ島盾子の死。彼女はその時幸せだったのか?

まず、彼女自身がこの死を幸せだと感じる理由は、「死の絶望を味わえる」「もう絶望を希望しなくて済む」の2つです。彼女の死が本当に本人にとって幸せだったのかを考察する場なので、考察しようのない前者はとりあえず飛ばし、後者のみ考えます。

絶望を追い求める彼女にとって、「自分は絶望を希望しているのではないか」、すなわち「自分が追い求めているものは絶望なのか希望なのか」という悩みは切り離せない存在です。この答えは死後も出ていません(江ノ島アルターエゴの最後の発言より)。

ですが、このタイミングで苗木によって自分の絶望が打ち砕かれかけます。元々混沌、つまり予想外を求めていた彼女にとって、その瞬間苗木誠はとても興味深い人物になっていたでしょう。もし彼女が生きていたら、彼≒希望に興味を持つ可能性もあったかもしれません。

 

そのタイミングで、彼女は絶望のために自らをオシオキしたのです。彼女がこの死を幸せだと感じない理由は、「新たに興味を持ったものを追い求めることなく死ぬ」ということです。

しかも、スーダン江ノ島アルターエゴの態度を見る限り、死の絶望を喜んでいるようには見えませんでした。これは一般的に考えて、絶望に興味が無くなったか死の絶望が薄い、もしくは無いことが考えられます。

もちろん江ノ島盾子の場合は後者です。1に比べて絶望への執着が薄いようにも見えますが、絶望を好む人物がダンガンロンパを運営しなければ物語の構造がV3のようになる(あくまで予定調和でいようとする)ので、絶望への執着はあります。

 

つまり、1の江ノ島盾子のオシオキの時は、理由の個数と重要性で幸福感が勝り、彼女は自らオシオキしました。しかし、オシオキ後、江ノ島アルターエゴになってからはオシオキを幸せだと感じる理由が1つ減り、同じくらいの重要度の理由が1つずつ残りました。

よって、江ノ島アルターエゴは死の絶望、つまりオシオキが自分にとって幸せだったのかという答えが出せていません。もし分かっていたらそれなりの反応、例えば幸せなら1のような態度をとるからです。

この疑問点は究極まで進むと、「もう絶望を希望しなくて済む」と「新たに興味を持ったものを追い求めることなく死ぬ」という2つの意見の議論スクラムとなります。どちらが生前の江ノ島盾子にとって重要か、生前の彼女のデータしか残されていない江ノ島アルターエゴには判断しかねます。

新たに興味を持ったものを追い求めることなく死ぬ事は、彼女なら「絶望的だわ!」とでも言いそうですが、本作中では彼女なそんな事を言っていません。自分で気づいていなかったのか、希望に興味を持った自分に嫌悪感があったのか、死んだ今は分かりません。

 

よって、この疑問点の答えは「解釈次第」とも言えるでしょう。もし答えを出すとしたら、ここまで書いたものを事実とし、他のデータを参考にしつつ解釈していくしかありません。

(ここからしばらく私の解釈なので読み飛ばしてもらってもかまいません)

確かに彼女はこの死を絶望的、つまり幸せだと感じていました。しかし、死の瞬間に分からなくなり、後にアルターエゴが彼女の思考を元に考察していくう不幸な死だったのではないかと考えるようになったように思います。彼女がプレスされる瞬間、急に真顔になるという有名なシーンがあります。ファンの間ではよく、「オシオキにも飽きたから」と考察されています。私もそう考察しています。

しかし、ダンガンロンパの世界においては、「オシオキ≒絶望」という方程式が成り立つのではないでしょうか。そうすると、彼女は絶望に飽きたということになってしまいます。これには苗木誠に魅せられた希望が影響していると思われます。

彼女の中では絶望への興味は段々薄れてゆき、希望、というよりは苗木誠に移っていきました。スーダンで苗偽が登場したり、1よりもパワーダウンしているような感じは、それが故なのではないでしょうか。

実際、スーダンも本来は未来機関、つまり苗木誠をプログラム世界へとおびき出すためのものでした。これも、苗木誠以外だったら来なかったものでしょう。彼の強い希望が、プログラム世界へ飛び込む勇気となりました。その時江ノ島盾子が、心の中では喜んでいたとしたらどうでしょう。彼風に言うなら、「僕達みたいなゴミクズを救い出すためだけに命を投げ出すなんて、なんて希望なんだ!」という事です。

 

このセリフ、江ノ島盾子の「絶望的だわ!」にも読み変えられるような気がしてなりません。絶望と希望はすれすれ紙一重。彼女もそんな紙一重な世界に囚われ、自分の理念を覆さぬよう努力したうちの一人なのです。

またこのことより、江ノ島と狛枝は対照的だから嫌っているのだけではなく、同族嫌悪もあるのではないかという考察も可能になるでしょう。

 

 

スーパーダンガンロンパ2

話が私の予想になってしまったので元に戻します。次は時列系的にはスーダンです。スーダンでは、江ノ島盾子に関しては脳、つまりアルターエゴのみの登場になります。脳のみなのに77期生をあそこまで追い込めたのは、舞台がプログラム世界だったことと、77期生全体の平均的なメンタルの強さと関係しています。

元々絶望させたことのある(とてもよく知っている)人達であるうえ、狛枝凪斗という1歩踏み間違えれば協力者のようになりかねない人物もいます。彼女にとって、このコロシアイは有利すぎるものでした。

 

今回のコロシアイに関しては、七海千秋が大きな脅威になっています。献身的に他の人に希望を振りまく存在は、苗木誠ほどの力は無くとも邪魔だからです。また、あまり権限が無いとはいえ、彼女は裏切り者、つまり未来機関の手先でもあります。プログラム世界を完全に乗っ取るために、彼女およびモノミは最終的には死んでいてほしい存在でした。

絶望編で、77期生は七海千秋の死によって絶望しています。彼女の死は、そういう意味でもこの計画を完成させるために必要不可欠だったものだと思われます。

そこで、4章時点で狛枝に真実の一部を伝えたのです。裏切り者をクロとした殺人計画を立てさせることで、彼女は自らの手を汚すことなく未来機関を始末することができました。そもそも今回は肉体が無い(プログラム世界なのでなんとかなるのかもしれませんが)ので、5章の苗木誠襲撃のような事はできませんでした。

 

今回のコロシアイの目的は、苗木達を呼び出すだのなんだの言っていますが、とどのつまりは「自分の肉体を手に入れるため」です。上記したとおり、肉体の有無は人類絶望化の成功に関わる問題だからです。苗木達が来てプログラム世界に閉じ込められたらそれはそれでラッキーくらいのものだったでしょう。

苗木たちが来たことと、日向がカムクラと七海の力で復活・強化されたことにより、江ノ島盾子の頭脳、アルターエゴが破壊されます。

しかし、これでも彼女は完全に死んだわけではありません。彼女の概念である「絶望」、または「ダンガンロンパ」は消えていません。もっとも、世界から希望や絶望を消すことは不可能なので、ここでは概念=ダンガンロンパということにします。

 

・「絶望を希望する」という現象

先程も書いた通り、江ノ島盾子にとってこの疑問は切っても切れない存在です。元々「絶望と希望」という対比であり紙一重な世界、つまりダンガンロンパの世界で生きる人間達は、「希望を追い求めて(真実に)絶望する」「絶望することを希望する」などの壁にぶち当たります。

もちろん、江ノ島盾子もその1人です。絶望を追い求める彼女にとって、その考え方は希望以外に唯一邪魔な存在でした。それは希望を追い求める苗木誠にとっても、日向創にとってもそうです。

最終的に苗木誠は、大きな希望を持ったからこそその壁を引きずりながら希望を背負いましたし、日向創はかつて大きな希望にも絶望にもなってしまったからこそ、絶望を背負いながらも希望を持って生きる決断ができました。

江ノ島盾子も自らが絶望の象徴となり、壁を無視して絶望を背負い、世界中に絶望を振りまいていきました。ダンガンロンパ世界における「強い人物」は、壁をも無視して自分が正しいと思った概念を背負って生きていける人達なのです。またこの「強い人」には、赤松楓も該当します。

 

それを前提として言えることとして、希望を求めることと絶望を求めることでは、絶望を求める方が圧倒的に困難で、精神的な障害も大きいということがあります。

「希望を追い求めて絶望する」という現象の解決方法は至って簡単です。自分の絶望以上の希望を持てばいいからです。実際に、作中でも大きな希望を持ったことで、苗木や日向は絶望を打ち破っています。

ですが、「絶望を希望する」現象の解決方法は無いと言ってもいいでしょう。自分の持つ希望以上の絶望を持つことを、さらに希望してしまうからです。ダンガンロンパの世界で絶望を追い求めようと思ったら、その問題を引きずりながら歩まなくてはいけないのです。

唯一この問題の解決策と言えるのは「絶望を希望する自分に絶望する」ことですが、作中で彼女がそのような思考に至っている描写は見受けられません。もとより、ダンガンロンパの世界で絶望を好んで追い求めている人物は江ノ島盾子しかいません。なので、この問題はあまり作中では扱われていません。

 

我々が想像する江ノ島盾子なら、絶望を希望する自分に絶望することくらい、やりそうな気もします。ですがもしかしたら、自分のアイデンティティである絶望と正反対の希望には、絶望的な感情ではなくただの嫌悪感を向けていたのかもしれません。

また、1~アニメ3に生きる人間にとって、「希望も絶望も放棄する」という決断は逃げだったとも言えます。数多の一般人がそうですし、塔和モナカもそうだと言えます。この考え方を打ち破ったのがV3、及び最原終一なのです。

 

 

ニューダンガンロンパV3

当然のことですが、この作品に「江ノ島盾子」は出てきていません。ですが、江ノ島盾子はまだ完全には死んでいません。上記した通り、「概念」であるダンガンロンパはまだ生きています。

希望の象徴である苗木誠の希望が伝染し、残っている中で、彼女の絶望もまた伝染し、残っていたのです。プレイヤーが希望、首謀者が絶望(ここではあくまでエンターテインメントとしてダンガンロンパを成立させるために絶望を持っていたとし、世界を絶望させるためではないとします)を持っていたからこそ、ダンガンロンパは続いていました。

V3の頃におけるダンガンロンパの効果は、「世界に希望と絶望を広げる」事と「予定調和な世界に混沌を届ける」事です。ダンガンロンパ江ノ島盾子の絶望を伝染させると共に、苗木誠の希望も届けていました。(というより、希望を伝染させる方が比重が大きかったような気もします)

後者の「予定調和な世界に混沌を届ける」事は、江ノ島盾子がやりたかった事と酷似していると言っていいでしょう。彼女の場合は世界を混沌させ、チームダンガンロンパの場合は画面の向こうの混沌した世界を視聴者に届けていました。このことからも、「彼女の概念は生きている」と言えます。

この事から、ダンガンロンパはある意味苗木誠と江ノ島盾子の代替のようなものだったとも言えます。普通なら苗木誠のみにしたいところですが、ダンガンロンパは大きな絶望が無いと成り立たないうえ、視聴者は混沌を求めているので、必然的に江ノ島盾子の絶望も広めることになってしまっています。

 

人工的に才能や人格を植え付けられるような世界なので、苗木誠や日向創のようなレジェンドはいくらでも創れます。もちろんもし首謀者も植え付けられるのならば、江ノ島盾子のような首謀者も創れます。

なので無印や2のような結末は腐るほどあったでしょう。そんなある意味予定調和な世界の中で起こった最後の混沌が、「江ノ島盾子の概念殺し」、つまり「ダンガンロンパ終結」だったのです。

江ノ島盾子の概念を殺すということは、苗木誠の希望の伝染を途絶えさせること、つまり「苗木誠の概念殺し」とも同じです。外の世界からすればある意味大きな損失だったでしょう。ですが最原達はここで彼女を完全に殺し、この世から「江ノ島盾子」を消し去りました。もうそこに、「希望ヶ峰学園」も「絶望の残党」も「チームダンガンロンパ」も存在しないでしょう。

 

・まとめ ダンガンロンパは「江ノ島盾子が死ぬまでの物語」でもある

無印~V3を振り返って分かるように、ダンガンロンパのゲームナンバリングタイトルでは必ず江ノ島盾子が死にます。無印では「肉体」、2では「精神」、V3では「概念」。さらに絶望編やゼロでは、彼女の視点を描くことによって彼女の考えをよりわかりやすく表現しようとしています。

また、これは死んでこそいないものの、苗木誠にも同じことが言えます。ゲームナンバリングタイトルで、生身の彼が出ているのは無印だけ、2は精神(アバター)、V3は概念(強い希望)のみです。(2エピローグはアニメ3との繋ぎ目なんで許してください)

無印の時に書いたように、希望は絶望を打ち破る事で拡がり、絶望は江ノ島盾子が死ぬことによって拡がります。スーダンの時まで、「絶望の象徴」である江ノ島盾子は肉体、精神と少しずつ死を迎えていました。そしてV3でついに、「ダンガンロンパ」という概念が死を迎え、希望と絶望の拡がりは終焉を迎えました。

 

狛枝が「一歩間違えた苗木」と言われるように、希望と絶望は紙一重であり対です。これと同じように、苗木誠と江ノ島盾子も紙一重=似た者同士であり対だと言えます。

二人とも希望や絶望の発信源なので、江ノ島盾子のいない外の世界で絶望の残党が大暴れしたり、苗木誠のいない2の6章以前やV3でキャラクターが希望を持つという事が普通にあります。それは、彼や彼女が死んでからも同じです。

概念殺しは、肉体や精神を殺すことよりとても難しいものです。なので、江ノ島盾子を殺すには「ダンガンロンパや苗木誠の希望ごと殺す」しかなかったのです。

 

江ノ島盾子が死ぬ時」=「苗木誠が死ぬ時」、つまり「ダンガンロンパが終わる時」